2006年10月23日

こころとからだ(1)−頼りない思考


3_cats2.jpg私達は自分の頭の中に浮かんだことは自分で考えたことだと無条件に信じる傾向があります。

 良くない考えが浮かぶと、自分が怖くなることがあります。また、苛立ちや、怒りを感じると、そこ感情に突き動かされて行動してしまうことがあります。後で、冷静になると何であんなことを言ってしまった/やってしまったのだろうと後悔することは良くあります。

 実は自分の頭に浮かんだことは意識的思考とは別の「ある種の反応」である場合があります。卑近な例で言えば、おなかがすいているだけでイライラして怒りっぽくなり、お腹が満たされると寛大になるものです。心の余裕は身体の余裕に支えられている訳です。

 思考など身体の前には全く無力だという例として、「痛み」があります。不意に何かにぶつかって強い痛みを感じると、それまで考えていた事、話していた事など、一瞬、消し飛んで状況によっては、パニック、不安、恐怖、怒りなどの感情が沸き上がり、全く別の考えが始まる場合もあります。思考は身体より下位に位置するわけです。

 また思考は情動よりも下位と言える現象があります。私達は自分がある状況が苦手だから不安や緊張を感じてを感じて、どきどきしたり手が震えたりするのだと感じています。しかし、それは錯覚であり、正確な事実ではありません。例えば、βブロッカーという薬(交感神経の興奮を抑える=心臓の過剰活動を静める)を飲んで(よく効くと)ドキドキしなくなり、声が上ずったり、手が震えたりしなくなり、その結果、あまり不安にならず、冷静に行動出来ることがあります。同様に、抗不安薬をあらかじめ飲んでおくと、落ち着いて行動出来ます。

 
つまり、「その場所が苦手だ」という思考は、動悸という身体反応や不安緊張という情動(注:情動は身体反応も含む現象です)の程度により容易に変化してしまうと言えます。「この状況はどうしようもない」という強い信念にだまされてはいけません。正確には「私は、この状況で起こる身体反応には耐え難い」ということでしょう。ただし、状況によっては、その反応が起こるのが自然というものもあります。例えば、命が危ないというときに呑気にしていたら本当に死んでしまいます。

 私が言いたいのは、本来それほど感じなくても良いことを感じるた時、思考はそれにだまされて、それが本当に危険な状態だと信じてしまう危うさがあるということです。

 次に、私たちの思考がだまされやすい場面を考えてみましょう。