2006年10月29日

こころとからだ(3) −「疾患と思考」−

maro1.jpg  前回、人間の思考の背景には、環境−体調−気分−情動が関与していることを書きました。と言うことは病気を考える場合、その中のどのレベルが関与しているかが重要になります。

 環境は変えられませんのでそれはおいておきましょう。ただし、冬季うつ病には光線が関与していることから、抑うつ気分に対して光線療法なる治療法があります。これは擬似環境といえるので環境変化と言えなくもないです。

 次に体調ですが、これは本当の身体疾患から、極度の疲労や、睡眠不足、月経関連、更年期などが関係します。そして、すべての治療の基本は体調管理です。たいていの疾患には不眠症状が伴いますから、睡眠障害の治療はすべての基本と言えます。また、慢性疲労をとるために仕事を休むとか誰かに手助けしてもらうなどの工夫が必要になります。女性のホルモン関係の症状には漢方薬が効果的であることが多いです。苦痛を伴う身体疾患、身体症状があるときは、それの治療も必要です。ただし、身体症状の中にも身体表現性障害(古典的な言い方ではヒステリー)というものがあるので、それは身体的治療では改善しませんから配慮は必要です。

まあそこまでは多めに見て、問題を「気分−情動−思考」という部分に焦点をあてます。精神疾患には大きく分ければ、「気分障害」「情動障害」「思考障害」があるということです。それらは明確に区別できるものではなく、関連しあっていますが、その人にとって、どの部分が一番問題かは違ってきます。うつ病、双極性障害などは「気分の病気」、パニック、社会不安障害などは「不安の病気」、統合失調症やその他妄想性障害は「思考の病気」と言えます。

思考自体に病理があるときは、その思考の不安定性、偏りを治療対象にしますから、考え方を変えるどころか、考え方を変えられるように薬を利用するのが妥当です。思考障害がある人に、「どうしてそういう考え方をするの」といっても意味はないです。そのように思考が偏っているのか、解体してしまっているのかということを専門家がみて適切な指導をしてくれるのに従うべきでしょう。

次に気分の病気について考えてみます。気分は、それが正常範囲なのか病的なのかが本人には非常に区別が難しいのでやっかいです。通常、空腹ではイライラして怒りっぽくなるし、何か良いことがあって浮かれていると人に対して寛大になります。そのように、気分ひとつで思考や行動まで変わってしまうのですが、健康な時はそんなことを問題だと思いません。気分障害という病気になると、思考の元となる気分が自分の意志に反して、あるいは自分が思っているよりはるかに大きく変動してしまいます。

 人は通常、気分の方を疑わず、その時に浮かんでくる考えや行動に駆り立てる動機を自分の意志であると無条件に受け入れてしまう傾向があります。ですから、気分の病気があると、思考内容や行動に問題が生じます。そして、客観的に見れば、そんなふうに考えなくてもいいことにとらわれたり、不適切な行動をしてしまったりするわけです。

  例えばうつ状態やうつ病の時は八方塞がりの考えに陥り死ぬしかないと考えてしまうことがあります。うつ気分のが改善すると「あの時はどうしてあんなことを考えていたのかな」と思えるようになります。ですから、うつ病の自殺念慮には注意が必要なのです。

 反対に、躁状態になると何でも出来そうな考えてになったり、考えが忙しくなり、行動が不自然になったり、トラブルが増えたりします。普段しないようなことを、急にやろうすることもあります。一概には言えませんが、軽躁状態の時は、本人は活力を感じて気分が良いので、なおさらそれが病的な状態だと気づきにくいです。躁状態から抜けて普通の状態になると、「普通じゃなかった」と分かりますが、そのままうつ状態になると、余計に躁状態の時が良かったと感じるので、なかなか普通の状態が受け入れにくくなります。

 双極性障害2型という病態では、いわゆる躁うつ病ほど激しい気分の変動ではなく、ともすると、気まぐれ、わがままと誤解されるような気分の変動が起こります。外からみると、何であんなに気分の波が激しいんだと批判的に見られてしまうことがありますが、本人自身が自分の気分に振り回されて困っているわけです。

 こういった気分の問題を自覚するのは、本人には難しく、身近にいて客観的に判断できる人が気づくことが大事です。うつは本人も苦しいので、問題を指摘されると受け入れ易いですが、軽躁状態は人に指摘されても、余計なお世話、自分を邪魔する、批判すると取られてしまい、自覚させるのはより難しいです。

 このような問題は、普通に言い聞かせるとか注意するとかで解決する問題ではなく、やはり治療が必要です。治療には抗うつ剤や気分調整剤を使いますが、それだけで解決するわけではなく、本人も「気分が揺れ易い自分をの性質」を理解し、気分に振り回されず、気分にだまされず、注意深く行動できるように訓練する必要があります。それは耐糖能異常(糖尿病になりやすさ)がある人が、食事や運動、過度のストレスに注意しながら生活するのと全く同じことです。目標は、「いつも元気」ではなく「良くも悪くもない、まあこんなものかな」という状態であることも忘れてはいけません。良くしよう良くしようとしてかえって波が大きくなる事が多いですから。

  もう一つ、思考を混乱させる病態として、「病的不安」があります。不安自体は、誰でも経験するし、正常範囲の不安と病的不安の境界はあいまいです。不安の種類にはパニック、恐怖症、強迫観念、心気症状、対人不安などがあります。軽いものは、多くの人が経験するしており、理解できる内容です。しかし、それが病的になれば、理解できないというより、いくら言っても納得できず、堂々巡りのやり取りになり、敬遠されることになります。本人もおかしいと自覚できるのですが、分かっていてもコントロールできない訳です。おかしさを分かっているだけに、隠そうとして悪循環になることが多いのです。

 不安の内容は様々ですが、総じて「ある種の考えが頭から離れない、おかしいと頭では分かっているけど、その考えが付きまとう」という現象に陥ります。分かっているだけに、「自分は頭がおかしくなった」と恐れることがしばしばあります。

 これらの状態は、情緒、感情に思考が負けているということです。強い不安の前には思考はなすすべがないということです。それに対処するためには、まず不安の程度を軽くしないと無理です。水が怖くて泳げない子供が、浮輪なしで水に入る練習をすることが難しいのと同じです。幸い不安を軽減する薬は、抗不安薬やSSRIといった物があるので、上手に利用して訓練して行けばよいわけです。

 不安は無くすことが目標ではありません。人は生きているうち、不安から逃れられません。というより、適度な不安は、命を守るための安全装置なのです。適度な不安というのが難しいのです。無事に生活しているように見える人の多くは、適度な不安と上手に付き合っているのではなく、「自分は大丈夫」という何の根拠もない楽観の上に辛うじて乗っかっているだけです。適度な不安を持って生きるというのは、恐らく苦境を切り抜け、自分の弱さを理解して、謙虚に生きている人だけが持っている感覚なのだと思います。


 以上のように、人の思考は気分や感情で簡単に揺らいでしまいます。そのことを理解して、自分の状態をできだけ客観的に見る訓練をしておきましょう。ピンチだと思ったら、まず内容に入る前に「自分のおかれた状況、体調、気分、感情」をモニターし、ゆっくり冷静に思考を進めて行きましょうね。



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