2007年05月04日

リラクゼーション(2)−リラックスする?

ponta2リラクゼーションとは何か、それが問題だ。癒しブームによって、いろいろな方法がメディアから垂れ流されている。慢性的に疲労して、休まることのない人々は、その情報に簡単に引っかかり、何かよい方法はないかと、どの方法が一番良いのかと探し求め続けるのだ。
「どうすればリラックスできるのか」その問いかけから、間違った方向に進み、「〜すればリラックスできます」となり、最悪なのは「頑張ってリラックス法を身につけましょう」となってしまう。
原点に戻り、冷静に考えてみよう。「リラックス」とは何か。リラックスの反対は「緊張(tension)」である。緊張とは何か、それは良い結果を導くため、あるいは悪い結果にならないための「心の身構え」と言えるだろう。言い換えれば「何かを成し遂げる」ために費やされる「心の張り」だ(ちょっとしつこいかな)。となれば、リラックスとは何か分かりますね。そう、「何も成し遂げようとしない」時の心の状態なのだ。
であれば、「リラックスをする」というのは言葉が矛盾しているわけで、「リラックスを身につける為に頑張る」などというのは逆効果となってしまう。
「リラックス」=「何もしないこと」。そんな簡単な、そんな馬鹿みたいなこと・・・とお思いだろうが、実はこれが如何に難しいかということだ。何もしないでいられる能力、これは現代社会においてはとても困難なことになってしまったのだ。それは「何もしない」=「無駄」、「努力」=「何かを成し遂げようとすること」が最も価値あることだという大錯覚が、社会文化の中に完璧に浸透してしまったからだ。これこそが、教育における最大の失敗だったのではないかと思う。

話はそれるが、学校教育はそれでよいと思う。「読み、書き、そろばん」と昔から言われたが、学校教育は人に必要なすべてを与える場ではなくて、社会的活動をするために必要な最低限の技術を訓練する場といえよう。つまり「何かを成し遂げる」こと「緊張と集中」を学ぶ場だということだ。
家庭あるいは生活の拠点は、安心できる場であることが望ましく、「何も成し遂げなくても大丈夫」「ゆっくりしていてもいい」という感覚を学ぶのだ。順序から言えば、まず、安心して生きる体験を十分にして、生きるための基礎固めをしてから、学校にあがって、「緊張と集中」のトレーニングを受けるのだ。訓練を受けた後、家に帰れば、ゆっくり休めて、心身ともにリセットして次の日を迎える。そういった、緊張と弛緩の繰り返しによって、心身のバランスの取り方を身につけていくのが理想的なのだ。
今こそ、緊張と集中を学ぶことが大切なだけ、何もしないことが同じように大切だという価値観を取り戻さないといけない。

話をもどす。理想論を言っていても、今現実がそうではないのだから、今の世界でどうすればよいのかを考えないといけない。何をしたらよいか、何をしてはいけないのかを考えないといけない。
我々の文化は何を失い、何がうまくいかなくなったのか。そこを整理し、リラクゼーションのために何をどう工夫すれば良いのかを次に説明する。