「意志の力」という怪しいもの
2005年09月12日
「意志の力」という怪しいもの(3)
「意志の力」は単純に強いとか弱いとか言うものではないし、ましてや弱いと言ってけなされるようなものではないということを述べました。誰だって、できればよい人生を生きたい、失敗はしたくない、よりよくなるためなら頑張りたいという気持ちはあるでしょう。なげやりな言葉を吐く人も、初めからそう思っていたわけではなく、マイナスの経験の積み重ねの果てにそういう思いになってしまったのでしょう。「意志」というのは、「イメージ通りに行動できる力」と言い換えることが出来るでしょう。根性論の嫌いな現代人も、「思いがあれば、行動できる」と勝手に思いこんでいます。医療者も例外ではなく、「血糖が高いのに、食事制限ができない糖尿病の人」「水分制限ができない腎臓病の人」などは、「あなた死にたいのか」という感じでしかられてしまいます。心理的な問題で病気になっていると見なされた場合、余計にその傾向は高まります。意志の力が弱いことで責められないのは、判断力を喪失するような精神疾患とか認知症の人くらいでしょう。
意志の力がなくてもしょうがないと言いたいわけではなく、意志の力が弱いと大雑把に思われている人の中にも、さまざまなレベルの問題があります。そういう人にイライラしている人には、もう少し違った見方をしてほしいし、それで責められている人には、もうちょっと冷静に自分の行動を整理して、さらなるダメージを受けないことを望みます。
「意志=イメージ通りに行動する」場合、前述したように、次のようなプロセスを踏んでいるわけです(多くの場合は意識されていないでしょう)。
1.状況判断する、可能性を見極める(分析)
2.可能性の中から一つ選ぶ(選択)
3.選択した道に向かって(何の保証もない未知の世界に)勇気を持って踏み出す(行動)
この中で、最後の行動する部分だけが問題視され、方向性を決めるプロセスは容易であり、問題にすらされていません。その段階が越えられず行動まで行き着けないということは理解されません。「なせばなる」「思いは通じる」「努力は報われる」という言葉がよく言われるように。恋愛のように「相手がある」こと、研究のようにもともと「困難な課題」の場合だけは、「やるだけやった」というプロセスがあれば、意志が弱いと責められません。
「状況分析」「選択」ができないなどということは、深刻な問題にとして扱われませんが、実はそっちの方が遙かに重要な課題なのです。「自分に出来ることと出来ないことを見極める」「自分に出来ることの中から一つ選ぶ」それができていれば、行動しやすいし、行動の結果も納得しやすいです。それが出来ていないと、行動に移しにくいし、起こった結果がうまくいかなかったとき、結果を受け入れにくいでしょう。また、結果もたまたまそうなっただけなので、結果から学ぶこともできません。従って、同じ失敗を繰り返すことにもなりかねないし、マイナスの経験を繰り返せば自己評価がどんどん下がってしまいます。
「状況判断」「行動選択」はその人の能力、資質、環境から与えられた経験に関わる課題です。とりわけ発達障害傾向のある人には、とても難しい課題です。多くの場合、自分でも何がうまくいっていないのかわからないため、「どうしてできないんだ」「どうして努力しようとしないんだ」「どうして辛抱できないんだ」と責められても、「どうしてか、こっちが聞きたいよ。それがわかったら苦労しないよ」という感じでしょう。本当なら、可能性の分析、可能性の中からの選択、そのプロセスを誰かが根気よくサポートしてくれて、その人なりのやりかたが身につけられるようにすることが大切です。そこまでできれば、後は「勇気」だけです。とはいっても、勇気を持つことすら、その人の力だけではなく、勇気を持てるような周囲の暖かいまなざしがあってのことです。
出来ている人には当たり前のことが、出来ない人には途方もない課題、あるいは何が問題なのかわからない課題なのだということを理解していただきたいです。「しない」のではなくて「できない」のだ、「自由意志」の問題ではなく「意志とは関係なく身につけてしまった経験やその人のせいではない資質」の問題なのだと理解できるかどうかが大きなポイントです。「責めること、しかること」ではなく「出来ない原因を見極め、出来るように手伝う」ことが必要だということです。そういう観点から本人も、周りの人も問題を見つめ直せば、また違った解決策が見つかるのではないかと思います。
「選択のむずかしさ」については別項でさらに詳しく説明します。
2005年07月30日
「意志の力」という怪しいもの(2)
「意志の力」と一言で言うと、誰しも同じものをもっているような錯覚に陥ります。そして、簡単に「意志が強い」だの「弱い」だの言われます。人は、なぜか自分と他人は同じ性質があることを前提にして、ものを考えたり、話したりする傾向があります。しかし、そんなことがあるはずはないです。「走るのが速い」という現象一つ取ってみれば一目瞭然です。小学校の時を思い出せば、走るのが速い子がいました、反対に遅い子がいました。速い子は練習したから速くなったのでしょうか、遅い子は練習不足でしょうか。違いますね、はじめから速い子と遅い子がいます。速い子は走るのが楽しいので、ますます速くなり、遅い子は走るのが嫌いになりますます遅くなります。しかし、大本のところでははじめから備わった能力の違いが大きいです。音楽や美術も、もって生まれた才能を受け入れやすい領域ですね。しかし、これが勉強になると、努力がものをいうという錯覚にはまっていきます。昔から「天才とは99%の努力と1%のひらめきだ」というエジソンの嘘がまかり通っているので、余計にややこしいです。努力自体が才能だということが、わからないのが困ったものです。「99%努力できるのが天才なんだよ、バカかおまえは」とエジソンに言ってやりたいです。話がそれてしまいましたが、芸術は才能の差をはじめから受け入れやすい領域、勉強や学問だと、努力で何とかなりそうな錯覚が芽生え、心の働きにいたると、最悪です。なぜか皆同じであると思いこんでいる。「つらいのは誰だって同じだ!」「自分だけ苦しいと思うな」など言われたことはありませんか?「心の中を見たことがあるのかい、同じだとかどうしてわかるんじゃい」と反論したくても、その論理が正しいような錯覚が多くの人の間で共有されているので反論しにくいですね。
人間にはいろいろなバリエーションがあって、人のいろいろな能力は正規分布します。そして、多くのルールは±2SD(正常範囲 約95%)に入る人たち用に作られたものです。ということは、はなから残りの5%の人にはそぐわないルールであるということです。しかし、多勢に無勢で、通常5%の人は95%の人に「おまえはおかしい、努力が足りない、やる気がないからだ」などという的はずれの汚名を着せられて苦労する仕組みになっています。
運動、演奏、絵画などは、才能があるかどうかわかりやすいし、学習は正解・不正解が決まっていて点数がつくので、性質の差が表にでやすいです。しかし、心の問題になるとどうでしょう。客観的に評価する方法がありません。普通にしていて、同じような顔つきをしていて、人と同じような表面上の行動を取っていれば、何が違うかわかるはずがないです。明らかな異常行動、明らかな発達の遅れなどがあれば、まだわかります。しかし、頑張れば何とかなるくらいの違いであると、非常にわかりにくいです。ですから、5%に当てはまる本人は必死で95%のルールに会わせようと頑張ってきても、頑張っていることに誰も気づきません。そして、ついに頑張りきれなくなったときに、「がんばりが足りない。おまえはおかしい」ととんでもないひどい言葉を浴びせられ、とどめを刺されます。言っている方はその罪深さを自覚することはないですが、言われた方は致命的なダメージを受けることになります。
こういった、まちがい、すれ違いは、実は世の中でいくらでもおきています。気づかない、気づこうとしないだけです。意志の力という怪しげな言葉も、そう簡単なものではないということを、これから説明します。「自分は意志が弱いダメな人間だ」と自己嫌悪に陥っている人に対して、「そうではないですよ。あなたはそういう力を発揮するにおいて、不器用な面があるのです」ということと、「あいつは何で意志が弱いんだ」と人のことを平気でののしれる人に対して「もうちょっと、個人の力の差に対して思いやりをもってね。そして自分に意志の力があるとしたら、それに感謝しな」ということを言いたいです。
それでは次に、意志の力を発揮するプロセスについて説明します。
2005年07月29日
「意志の力」という怪しいもの(1)
Where there's a will, there's a way.一念、岩をも通す。
など、強い意志があれば、道は開けると昔から言われます。これは自分を奮い立たせるための、励ましの言葉でしょう。それが、文字通り理解されてしまうと、何かを成し遂げられないのは、意志・思いが弱いからだという話になってしまいます。
実際は、そういう強い意志を持つにはどうしたらよいかという、永遠のテーマであり、なかなか強い意志で行動し続けることが困難だからこそ、こういう励ましの言葉に意味があるわけです。
意志を決定し、意志をもって行動し続けることは想像以上に難しいことです。好きなことを好きなだけやるのは、それに該当しません。その場合、意志ではなくて、興味、欲望という違う力が働いているわけで、誇らしくいうほどのものではありません。(好きなことでも、より上を目指し、自分自身に挑戦し続けるような場合は違いますが。)なかなか手につかない、途中で投げ出したくなる、思うようにいかない、そういう状況下での「意志の力」というのは甚だ頼りないものです。
そもそも意志の力というのは、「ある環境で状況判断し、自分の方向性を選択し、選択した道に沿って、勇気を持って何の保証もない未来に向かって進んでいく」という力をさします。普段の生活で、われわれは無意識にそういう行為をしているわけです。通常は、それほど深刻な問題がゴロゴロあるわけではないので、何とかこのプロセスを進めていくことができます。しかし、「失敗が許されない」「非常に危険が伴う」「全く未知の世界に向かっている」など、不安や恐怖を強く感じる場面ではこの力が非常に低下します。そして、誰かに意見を聞きたくなったり、決めてほしくなったり、逃げ出したくなったり混乱して病気になったりします。
意志を決定するプロセスを分けて考えてみましょう。
1.状況判断する、可能性を見極める(分析)
2.可能性の中から一つ選ぶ(選択)
3.選択した道に向かって(何の保証もない未知の世界に)勇気を持って踏み出す(行動)
これらのどのレベルが欠けても、意志は決定できないか、間違った決定の仕方をして、結果に右往左往することになります。
意志決定することの難しさがどこにあるのか、それを考えてみましょう。

